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乙さん

Author:乙さん

2月生れ、現在は横浜に住む。ごく普通のサラリーマンを業とする。趣味は、神奈川県近郊での週末ウォーキングや、仕事帰りのグルメ探検。

本ブログは、ネット初心者の小生が、周囲の勧めで見よう見まねで開始したものである。趣味の週末ウォーキングや、仕事帰りのグルメ体験のほか、日々雑感等も含めた気軽な内容を、下手な写真も時折交えながら、つたない文章で紹介する。

なにしろ、最近までブログ(Blog)を付録(フロク)の聞き間違えだと信じており、実は「Web」と「Log」との合成語だったと気がつきもしなかったくらいのネット初心者が運営するサイトなので、読みにくい点等も多々あるかもしれない。周囲の知恵を拝借しつつ、より魅力あるブログにしていきたい。

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KPシール
061227-kpseal.JPG 中区日本大通りにある旧横浜商工奨励館は、関東大震災後の商工業の復興を奨励する目的で1929年に竣工された。その後の年月の経過の中で、再び同館を再活用しようという声があがり、これを受けて、横浜市の建築課により、当時使われた建築部材をほぼ保存したまま、6年前の2000年に横浜情報文化センターとして生まれ変わった。 同センターに去る2005年11月19日、天皇と皇后が視察に来館されたのだが、視察当日までの下準備や警備等にかかる関係者の苦労は計り知れないものがあったに違いない。食事も地元の食材のみを使用した料理に限定するようにとの宮内庁からの指示もあったほか、警備の面では神奈川県警が中心となって、厳かに周囲の警備にあたった。 狙撃できないようにと、周囲のビル全てを立ち入り禁止にし、関係者であろうとも窓の近くを歩くことが禁止された。不用意に窓に近づくと、狙撃犯の人影と勘違いされてしまうからだ。その他、ビルマンホールは排気口等にも危険物がないかをチェックするのも仕事のうち。そのチェック済みという意味のシールがその写真で、まだ数多く名残として残っている。「KP」という文字が見えるが、これは「Kanagawa (Prefectural) Police」(神奈川県警察)の英語表記の頭文字。 実数は知らないが、数千カ所にも及ぶであろう箇所に貼られたシールをはがすのは一苦労。結局、全てはがしきれずにそのままになってしまっているという。センターの周囲のあちらこちらのマンホールや排気口等の蓋に貼られているこのシールを見るたび、当時の関係者の苦労を思い起こす。
キンセンカ(アリスオレンジとアリスイエロー)
061202-kinsenka-aliceorange.JPG 061202-kinsenka-aliceyellow.JPG 学名の「Calendula officinalis」の「Calendula」は、「カレンダー」の語源でもあるラテン語の「Calendae」(意味:毎月第一日)を語源としている。どの月初めにも咲いているほど花期が長いことに由来しているとのこと。 また、「officinalis」には、「薬用の」や「薬効のある」という意味がある。実際、原産地の地中海や南欧では、ハーブとしての用途があるほど。ニキビや吹き出物といった皮膚疾患に良く効くとされている。 たまたま「キンセンカ」をキーワードに検索していたら、とても素敵なブログを発見。その管理人の方の表現では、この鮮やかなオレンジと黄色を「ビタミンカラー」と描写している。冬の本格的な到来を目前に、実に「粋」で「乙」な表現でなないか。 花言葉は、「慈愛」、「別れの悲しみ」、「乙女の美しい姿」、「失望」、「悲しみ」、「用心深い」、「悲嘆」、「静かな思い」、「悲痛」、「さびしさに耐える」、「平静」など。
江戸前「大進鮨」にて単独クリスマスディナー
061223-daishinzushi-sashimori.JPG 本妻や通い妻のほか、多数の腰元の存在のお陰で苦労のない生活を送っているが、ことほのかクリスマスの時期になると連中の姿が見えなくなる。本来は家族と共にキリストの誕生を祝う時期であるが、実家の家族は病のため、結局はいつもの単独一献を強いられることになる。要するに、いつもの単独一献がたまたまクリスマスの時期に重なっただけのこと。 で、今年のディナーとして選んだ先は、横浜の戸塚にある江戸前寿司の店「大進」。まずは、刺し盛りからということで、ご主人にお勧めのネタを切っていただく。富山県の氷見産の天然ブリや相模湾の佐島産のアジのほか、マグロの中トロ、シメサバ、イカ、タコなど、私が好きなものが盛られてくる。これでは、ビールやら焼酎のお茶割りというわけにはいかないので、日本酒に切り替えることに。ここにたまにコメントを寄せてくださる「我楽多工場分室」の管理人キョウエ殿が以前お勧めされていらした「立山」をいただく。 061223-daishinzushi-imo.JPG 刺し盛りがなくなりかけてきた頃を見計らってか、タイミングよく一品料理が運ばれてくるではないか。サトイモ(正式名称は失念)をこしたものを丸めて油で揚げ、それを出汁のきいたあんに絡めたもの。上に風味付けの三つ葉がさりげなくのっているが、色だけで風味に欠ける三つ葉が市場に出回っていることが多い中で、ここのはしっかりとした味と風味がしている。 061223-daishinzushi-katsuo.JPG 続いて、焼き物ということで、マナガツオの西京焼きが登場。西日本などでは新鮮なマナガツオの刺身は珍重されるが、西京焼きもまた格別。先ほどの立山が杯を重ねて3杯目に入ろうとしている。ところで、このマナガツオだが、普通のカツオでないのに、なぜマナガツオというのであろうか。カツオと同じスズキ目ではあるが、マナガツオは分類上、イボダイ亜目マナガツオ科に属しており、サバ亜目サバ科のカツオとはちょっと縁遠い。歴史的な背景がいろいろとあるのかもしれない。難しいことは、魚博士にお伺いすることとしたい。 061223-daishinzushi-shirako.JPG 焼き物がもう一品欲しくなってきたので、店内に掲げてあるお勧めメニューから、白子焼きをお願いすることに。程よい塩気とレモン果汁の酸味との見事がバランスが、淡白な白子の味わいをより一層お奥深いものにしてくれる。 061223-daishinzushi-makimono.JPG 061223-daishinzushi-suimono.JPG 締めには少しぐらいご飯ものが欲しい。が、今さら握りやちらしでは量が多すぎて、小食の私の胃袋が持ち堪えることができない。そこで、いつもお願いするのが、巻物。程よい味噌の味が溶け込んだ汁物と一緒に今年の単独クリスマスディナーを締めくくる。
鎌倉の5秘境・冒険ウォーク
061223-kamakurahike-oomaruyama.JPG 061223-kamakurahike-oomaruyama-nagame.JPG 061223-kamakurahike-junisomomiji.JPG 南は海に、そして3方を山に囲まれた鎌倉に幕府が誕生したのが1192年、今から8世紀以上も前のこと。この鎌倉を囲む3方の山々は標高こそ大したことはないものの、実は意外にも奥深く、素人が単独でコースを離れようものなら、遭難して命取りとなる。 鎌倉の山で遭難事故、などと聞いたことがないが、その山々を歩けば歩くほど、これほどまでの秘境があったのかと思い知らされる。天園コースや大仏コースなどといった既にコースとして整備されているのであれば問題ないが、今回はまさに冒険ウォークと銘打った本格的な秘境探索となった。 場所によってはザイルなどを使って斜面を降り、大刀洗川の源流の辺りを鎌で薮を刈りながら進む様は、まさにテレビなどで放映される冒険番組さながら。どこかの国の道なきジャングルを進んでいるような錯覚にさえ陥るほど。観光客が押し寄せる鎌倉にこれほどまで未開の自然があったとは、と思い知らされる。 軍事都市「鎌倉」の要塞機能の重要な部分を担っていたのがこの3方の山々。これらの山々を奥深く歩くとき、その要塞という意味を身をもって理解することができる。なるほど、これでは切通しが必要なのも十分に頷ける。 密林のように竹が茂っている竹林沢秘境や、崖を降りて再び別の崖に上るというV字谷秘境のほか、茅ヶ原秘境、藪尾根秘境、馬場谷秘境といった5大秘境を制覇して、目的地でもある鎌倉宮まで辿り着くというコース。距離にして推定20キロほど。 疲労困憊するも、暗くなる前に下山できたのが幸い。今年の歩き納めに相応しい冒険ウォークだった。 なお、画像は上から順に、鎌倉市域に入る直前にある横浜市側の最高峰「大丸山」の山頂、その山頂からの金沢八景方面の眺め、そして鎌倉の大刀洗川の近くで一般道に出た際に偶然見つけたきれいな紅葉。
紅合歓(ベニゴウカン)
061202-benigokan (2).JPG 紅合歓(ベニゴウカン)という名前は、花の色が紅色で、なおかつ合歓の木(ネムノキ)に似ていることに由来する。メキシコ原産のマメ科の花で、別名を「緋合歓(ヒネム)」とも。 花言葉は、「燃える恋心」や「高潔」など。
都内を散策(飯田橋〜新宿)
061210-shinjukurekishihakubutsukan-koyo.JPG ここからリンクしている「お散歩友の会」主催による12月例会に参加。今回は、東京の飯田橋から新宿を目指して歩くもの。途中、お札と切手の博物館や新宿歴史博物館、消防博物館などを巡り、最後に新宿の居酒屋で忘年会といったスケジュール。私を含め、計11名が参加。なお、冒頭の画像は、新宿歴史博物館の中庭の紅葉。 午前中にJR中央線の飯田橋駅に集合し、そこからまずは近くの海鮮和食の店でランチ。私もこれまで何度かは参加させていただいたことがあり、今回の参加者のなかでも何名かはお見かけしたことがあるものの、前回の参加からだいぶ時が経っているため、残念ながらお名前とお顔が一致しない。意外に静かなランチタイムとなった。 ランチの後、お札と切手の博物館に入った。館内は基本的に全て撮影禁止とのことだったので、画像はなし。古の時代から現在に至るまで、時代ごとに使用されていた札を展示。海外のものも多く展示されており、観る者を飽きさせない。 061210-shinjukurekishihakubutsukan (2).JPG 次に目指したのは、新宿歴史博物館。区に勤める学芸員の方が、親切にも施設と展示物の概要説明をしてくださり、我ら一行は大いに理解を深めることができた。新宿という町の成り立ちなどについて、その立地条件や当時の歴史背景などを踏まえ、大変興味深く説明してくださったのが特に印象的。上の写真は館内にある江戸の町でよく見かけられた家屋。 061210-shobohakubutsukan-meiji.JPG 061210-shobohakubutsukan-taisho.JPG 061210-shobohakubutsukan-showa.JPG 続いて、一向が向かったのは消防博物館。東京消防庁の四谷消防署内にあり、江戸、明治、大正、昭和といった時代の移り変わりと共に歩んだ消防の歴史を時系列で展示。上の3つは、上から順に、明治、大正、昭和のそれぞれの時代の消防作業の風景。消防車両のテクノロジーの近代化・進展と、それに伴う人員の少人数化に、時代の流れの確かな息づかいに気づかされる。 061210-shobohakubutsukan-matoi.JPG 061210-shobohakubutsukan (3).JPG 061210-shobohakubutsukan-matoi.JPG 同館ではこのほか、南町奉行を務めた大岡越前守忠相が組織した町火消が担いだ「まとい」のレプリカ、1982年まで現役で活躍した消防ヘリ「ちどり」、大正から昭和にかけて活躍したクラッシックなポンプ車なども展示されている。 061210-izakaya-chanko (1).JPG 以上で全ての行程を完歩。新宿駅近くの居酒屋で参加者全員で忘年会。塩ちゃんこをいただき、酒もグイグイと進んだ模様。厳か?で、かつ和気アイアイとした雰囲気の中で、楽しく宴が執り行われた。 061210-shonanshinjukulinegreen (1).JPG 061210-shonanshinjukulinegreen (2).JPG え?帰りにもう1軒ぐらいいったんだろうって?ぃぇぃぇ、まっすぐ横浜に戻りました。逗子行きの湘南新宿ラインで缶ビールを飲みながら、まっすぐ家路へ。。。と記憶しています。
小料理処「一菜」(横浜・花咲町)
061208-issai-sashimori.JPG 今年7月にオープンしたばかりの小料理処「一菜」に久々に立ち寄ることに。多くの読者もご存知の通り、同店はここと相互リンクしている「粋なおやじのひとり言」の粋なおやじさんが切り盛りしている。 まず、刺し盛りをいただく。サヨリ、タコ、キンメ、マグロ、牡蠣。。。ビールから日本酒に切り替えたのは言うまでもない。特に奥に見えるプリプリっとした牡蠣の身の食感は見事の一言。 061208-issai-toriyaki.JPG 生もの次は焼き物、ということで、鶏を焼いていただくことに。ジューシーさと旨みを損なわない焼き方だからこそ、ワサビとの相性がよりよくなるのであろう。鶏の旨み、ネギのシャキシャキ感とピリ辛感、そしてワサビのツンとくる刺激が三位一体となって口の中に広がる。そして日本酒で一気に洗い流す。。。まさに、至極のひと時。 061208-issai-shimesaba.JPG 生もの、焼き物、ときたので、再び生ものへ。軽く酢で〆たシメサバをいただく。実に脂がよくのっており、思わず辛口の日本酒を注文したくなってしまう。
野毛「カントリー」の壁の絵画
061208-country-musashiya.JPG これからどこを徘徊しようかプランを練ろうと、野毛にある疲れたおじさんの店「カントリー」に立ち寄る。 カウンターに座って、しばらくマスターを話をしていると、会話が偶然にもカウンターの背後の壁にかかっている絵画の話題に及んだ。この絵のモデルになっている場所だが、どこかで見たことはないだろうか。多くの読者も恐らくご存知のはず。 そう、あの三杯屋の異名をもつ情緒ある居酒屋「武蔵屋」だ。ママたちと若いお手伝いの店員が揃って描かれている。マスターはこの絵画をどこかのフリーマーケットかなにかでたまたま購入したとのこと。実に貴重な絵画であろう。。。
【2006.12.08】 未分類
TRACKBACK(0) // COMMENT(0) []
トラックバックの是非を巡って
061123-trackbackdefinition.JPG
<画像:"Wikipedia, the free encyclopedia"より抜粋>
ブログなどで用いられる機能の一つにトラックバックというのがあるらしい。私もいまだによく分かっていないものの、コメント機能とはちょっとは違うことがなんとなく分かってきた。 コメントは、興味のある記事に対して単に自分なりのコメントを残しながら、ブログ作者や同じ記事にコメントを残したほかの読者との交流や意思疎通を図るというもので、一方のトラックバックというのは、Aさんのブログのある記事について、Bさんが自分のブログでその記事について関連性のある事柄を書いたということを、元になったAさんのブログに対して「参考にさせてもらったよ〜」「Aさんと関連性がある記事を書いたよ〜」ということを「通知」する機能とのことのよう。 通知するということは即ち、ここでいう記事のオリジナル作者であるAさんに対して、Bさんが示す一種の敬意、いわば仁義を切るようなもの、ということで考えていいものなのだろうか。サイトをいろいろと検索してみると、概ねこのような考え方として捉えられている傾向にあることが判る。が、中には、トラックバックという名の下に、自分の記事をより多くの人に読んでもらいたいがために、ちょっとでも関係がありそうな他人の記事を見つけては、そこにトラックバックするという、スパム的な使い方もあるという。こうした輩の多くは、悪徳業者が占めるのであろうが、単に自分のブログを広めたい一心からか、アクセス数の増加にご執心の悪意なきブロガーも多数いることであろう。ここで問題視されるのは、前者のほう。 今ではブログの機能も充実してきているようで、管理人の意思で承認したり削除したりできるようになっている。私も自分のブログの操作を少しずつ勉強してきており、最近では悪意ありそうなトラックバックについては承認しないような設定にしている。もちろん、出所のハッキリしているブログや、ちゃんとしたブログに対しては基本的に承認している。このように今のITの進歩は目覚しい。知らない機能ばかりが増えてしまって、どこをどう操作したらいいのかさえ、サッパリ分からない。機能増設もいいのだが、私のような初心者として切に求めたいのは、サーバーの故障などによる記事の損失などがない安定性の向上と、いわゆる接続中に「重く」ならないような余裕あるサーバーの導入などである。 何はともあれ、タイトルは「…是非を巡って」、とあるが、私としては実はどちらでも構わない。どちらかといったら、オリジナルの記事に対する敬意を払うといった点において、あったほうがいいかなぁ、といった具合。無数に記事がある中で、自分のところに正直にトラックバックをくれるということは、むしろ感謝に値する、といった見方もあるわけで、こういった人たちは、無数にブログが存在するこの世にあって実に貴重な読者でありブロガーなのかもしれない。 学術論文などでは場合によっては盗作とされてしまうケースを禁じるように、ネットでかような対策が進んでいることは大いに結構。ただ、無数にあるブログなどのサイトを全てチェックするのは現実的に不可能であろう。トラックバックというのは、あくまでも通知ベースにのみよりその意義があるのであって、実際の運用については、読者やブロガーの善意に委ねるしかないのが現状なのではないだろうか。
新造語「入毛」の解釈を巡って
061201-nyumo-definition.JPG 今や野毛ラーの間でも新語として市民権を得つつある「入毛」という新造語。。。この生みの親ともいうべき「住まいは海の近く」の管理人seikoMTD氏の素晴らしい発想力には正直、驚嘆の念を禁じ得ないものがある。この新語の定義付けや解釈を巡って、いくつかの主だったブログでも議論が重ねられている、というのはちょっと大げさだが、ふと定義とその語用について私なりに考えてみたくなった。 「入毛」はそもそも、「入る」という動詞と「野毛」という固有名詞を併せた造語で、凡そ単純に意味するところは「野毛に入る」といったものになる。これが転じて、飲食店が軒を連ねる野毛に入るという行動を、一般的には「野毛で飲食する」といった意味として捉えられているものと推察される。明治以降の断髪令や廃刀令に代表される「脱亜入欧」という思想があるが、「入毛」もこれと同じような経緯で編み出されたものなのかもしれない。周知の通りこの脱亜入欧は、当時、後進地域として考えられていたアジア(亜細亜)を脱し、列強な国々を擁する欧州の一員になることを目指した日本のスローガンである。下手に他の場所で飲むのであれば、野毛で飲んだほうが間違いない、という長年にわたる飲食体験に裏打ちされた氏の熱き思いが込められた新語なのであろう。 さて、この「入毛」、まずは国文法と音声学の見地から整理してみたい。品詞では何に属するであろうか。わが国の国文法では、名詞、数詞、代名詞、動詞、形容詞、形容動詞、連体詞、副詞、接続詞、感動詞、助詞、助動詞と12種類に分類しているが、この中で言うと「名詞」ということになろう。名詞があるということは、ここから無理にでも「派生」させた動詞が存在していても不思議ではない。動詞の基本形の語尾によくある「…る」をつけて強制的に動詞をつくってみると、「入毛る」となる。かなり無理矢理だが、できないことはない。 となると、この新たに派生した動詞の読みは「にゅうもう・る」となる。が、残念なことにちょっと発音しにくい。便宜上、ローマ字で標記すると、音韻上は「nyu」「u」「mo」「u」「ru」と5音節に分けられる。第1音節「nyu」と第2音節「u」は実際には「ニュー」と長母音的に発音されるため、音節が一つ減って4音節と考えられ、「nyu-」「mo」「u」「ru」となる。これでも、まだ発音がし辛い。言語の経済性という考え方があり、例えばフランス語のリエゾンなどがその代表例。省略することで、少しでも簡単に発音しようとするのが人間である。最後の3音節を「もうる」ではなく、「もーる」にするのも手かもしれないが、そうすると、「ニューモール」となってしまい、あたかも「New Mall」で新しいショッピングモールでもできたのかと勘違いする野毛ラーもいらっしゃるに違いない。そこで、私が提唱したいのは、最後から2番目の「u」と省いて、「nyu-」「mo」「ru」、即ち「にゅーもる」と実際には発音できればいいのではないかと勝手に思ってしまっている。 仮に「入毛る」という動詞を、実際には「にゅーもる」と発音しつつも、ひらがなでは「にゅうもる」と表記するのであれば、語尾変化(活用)のパラダイムは次の通りにならざるを得ないとするのが自然の成り行きであろう。 基本形:入毛(にゅうも)・る 未然形:入毛(にゅうも)・ら、入毛(にゅうも)・ろ 連用形:入毛(にゅうも)・り 終止形:入毛(にゅうも)・る 連体形:入毛(にゅうも)・る 仮定形:入毛(にゅうも)・れ 命令形:入毛(にゅうも)・れ 入毛(にゅうも)・らず、入毛(にゅうも)・ります、入毛(にゅうも)・る、入毛(にゅうも)・るとき、入毛(にゅうも)・れば、入毛(にゅうも)・ろう、と立派なラ行五段活用の動詞であることが明らかになる。 では、実際の運用における意味の定義付けをみてみたい。私は基本的に「言語は生き物である」というスタンスをとっている。「ヤバい」という口語体の形容詞があるが、これは本来、法に抵触する恐れがあるとか、身に危険が降りかかることが予想される様を形容したものであり、「危ない」とか「危険な」といった語に置き換えられるものである。それにもかかわらず、今の特に若い世代における運用の現状をみると、「ヤバい」はもはや危ないという意味ではなく、「凄い」というむしろ肯定的な意味を持つ語として使われてしまっているケースが多いことに気付く。かように言語というものは、世間の大多数が誤って使ってしまうと、それが定着して使用者の間での市民権を得てしまい、最終的には本来の意味に取って代わってしまうといったケースが多々ある。 似たようなケースは他にもある。よく耳にするのが「確信犯」。今ではほとんどの人に、「悪いことと知っていながら罪を犯す人」と解釈されているようであるが、実の意味は全く違う。本当は政治的、思想的、宗教的な「確信」に基づいて罪を犯す人のことを意味するのであって、「知っててワザとやった」、といった軽い意味ではなく、むしろ、政治犯や場合によってはテロ組織をさすものとして使われる。この「確信犯」も、時の流れの中で次第に両方の意味が辞書に載るようになってしまうかもしれない。それはそれで言葉は生き物である以上、仕方がないことなのかもしれない。 さて、「入毛」だが、意味の定義は何であろうか。ごく普通に、横浜の台所といわれる野毛地区で物理的に行くこと自体を意味するのであろうか、それとも実際にその場での飲食という行為が伴わない以上は「入毛」とは言わないのであろうか。要するに、「入」の意味が、単なる物理的な接近や進入を意味するものなのか、それとも、同地区で何かしらを「体験・体感する」、地区に「溶け込む」、地区と「一体となる」といった意味までも包括するのか、といったことが論点になる。前者であれば、通りすがりの人でも「今日は入毛したぁ〜」ということができるし、後者であれば、野毛地区の店の多くが飲食店であることを加味すると、飲食や物品購入がない限りは単に「今日は野毛を通り抜けたぁ〜」という表現となろう。 いずれにせよ、新語「入毛」の生みの親であるseikoMTD氏がかなりの野毛通であると同時に、私が3人かかっても敵わない鋼鉄の肝臓の持ち主でであることを踏まえれば、解釈は当然、暗黙の了解として後者ということになる。飲食や物品購入があってはじめて「入毛」を使うに相応しい要件を満たしたことになる、と解釈して差し支えないのではないだろうか。だが、こればっかりは、ご本人に確認する必要があろう。 また、もう少し踏み込んだ解釈をするのであれば、野毛との一体感といった観点からすると、野毛に行き、飲食をし、そして野毛にまた来たいと思う、といった一連の行動と心理の連鎖が新語「入毛」の意味の根底を支えているといっても過言ではないのではないだろうか。入毛する彼ら(受け入れる側からすれば「来毛者」となろう)が、彼らなりに入毛して、満足のうちに帰途に就いてくれることが、究極の「入毛」となるのではないだろうか。入毛で満足を得るということは即ち、店側にとってもありがたい来毛者であるはず、という等式が成り立つはずである。 客の満足はいずれ店の満足につながる。。。非常にシンプルでありながら、ついつい忘れられてしまいがちな概念であるが、この「入毛」という新造語の解釈を通して、私なりにつたない思いを巡らせることができた。野毛の店とそこに集う客とをつなぐ「入毛」、実にしっくりとくる新語ではないか。多くの市民に使われ、いつの日か辞書に載るほどの市民権を得ることを切に願っている。
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